上海教育事情ブログ

上海で個別塾「上海個別塾(シャンコベ)」を運営しつつ、上海の日本人向け教育事情についていろいろと書いていきます。上海だけでなく、他の海外からの中学受験、高校受験、大学受験について、一般入試や帰国生入試に分けてリアルな状況をお話します。

志望理由書の書き方(基礎編)

前回、志望理由書の書き方(入門編)を書きました。
shanghai-education.hatenadiary.com

前回の内容は、志望理由書を書くための心構えみたいなもので、一番大事なことではありますが、それ自体で志望理由書がかけるようになるわけではないですよね。ということで、今回から実際に書くためのプロセスに入っていきます。基礎編では、志望理由書の枠組みを紹介したいと思います。

 

1. 志望理由書の流れ

そもそも何を書けばいいの?という人も少なくないと思いますが、基本的に書いてほしいことは次の3点です。

  1. あなたの夢(未来について)
  2. その夢を持ったきっかけ(過去・現在について)
  3. そのために大学(or 企業)で何がしたいのか(近未来について)

この順番に丁寧に書いていけば志望理由書が書けます。例えばこんな感じです。

<志望理由書例>

(未来について)

私はアジアを担当する日本の外交官になり、アジア各国の関係を円滑化するためにリーダーシップを発揮したい。

(過去・現在について)

私は北京のインターナショナルスクールに6年間通ってきた。インターとはいっても、そこに通う生徒は、台湾、香港、韓国、タイなどのアジア系の生徒ばかりであった。そこで私は学年で唯一の日本人として通い、日本とアジア各国との関係を考える機会を得た。

中国で反日デモが起こったとき、中国系の生徒が私に悪口を言ったことがあった。日本人というだけで悪口を言われ、とても悔しかった。しかし、後でその話を知った韓国人学生が「私も日本の政治は好きじゃないけど、〇〇は私の友達だ」と言ってみんなに注意してくれた。そのとき私は彼の言葉に救われたし、それ以上にみんなをまとめた彼を尊敬した。そして、私も彼のような存在になりたいと思うようになった。

その後、同級生たちに日本の情報を発信しようと、観光ガイドを作るプロジェクトを立ち上げた。日本に関心があった同級生を集め、夏休みを利用して東京や大阪をまわった。ここで重視したことは、ゲームセンターを特集するなど、若い人たちで気軽に楽しめる刺激的な場所を紹介したことだ。学校で発表したところ大人気になり、北京の旅行雑誌の編集者の目にもとまり、その雑誌でも日本のゲームセンターが紹介された。

こうして私は、複雑な問題を抱えるアジア各国であっても、リーダーシップをとって適切に情報を発信していれば、良好な関係を保つことはできると実感した。そして具体的に外交官という仕事を意識するようになった。

(近未来について)

私の目指すリーダーシップのある外交官になるためには、まだまだ学ばないといけないことが多くある。歴史問題、国際政治や国際法、比較文化など幅広く学びたい。また、情報発信の手段が極めて多様で簡易化している現代において、メディアでの情報発信もしていきたい。

以上のことを踏まえて考えたとき、貴学は私の学びたいことを最も多く学べる環境だと思った。外交に詳しい〇〇教授や、メディアの実践論を教える〇〇教授などは特に魅力的だ。また留学生や留学先の大学の選択肢の多さは、さまざま国や地域の人の考え方を理解する絶好の機会だと思う。

以上から、私はアジアで活躍できる外交官になるために、貴学を志望する。(1000字程度)

(例として適当に書いたものですので、事実とは異なります)

 

2. 枠に合わせても、内容がないと陳腐になる

こうして枠にはめて書いてみると、ある程度のものが出来上がります。上の志望理由書の例も、「①あなたの夢→②その夢を持ったきっかけ→③そのために次に何がしたいか」という流れを意識して1時間程度で書いた文章です。まずこの程度まで書ければ、他の学生とそれほど差は出ないと思います。むしろ、どこかの機械で採点させれば良い点数がでるはずです。

こうした志望理由書の採点というのは、あくまでも適切な語彙を用い、論理性や一貫性、具体性があって、それが志望先と合っていればいいだけです。もっと言ってしまえば、多くの志望理由書の添削で行われているのもこの観点からの指導です。

しかし、このレベルは少し練習すれば誰でも書ける内容であり、これだけでは本当に良い志望理由を書けるわけではありません。志望理由書を出さなければならないとき、そこで相手から求められていることは、その人が一貫して何かに取り組んできたことから得た相手をひきつけるような魅力です。

じゃあ、その魅力はどうすれば出るのか。それはあなたの経験を振り返り、現在のあなたと繋ぎあわせ、それを今後どうしたいかを決める作業を真摯に行うことです。そうすることで、信念を持った人であることを相手に伝えることができます。その信念こそが魅力として相手に伝わります。

だから、志望理由書の書き方(入門編)で伝えたように、志望理由書にコツなんてないんです。自分の信念は、コツでは生まれません。コツはあくまでもきれいに見せるための服のようなものです。コツだけで書かれた志望理由書はどこか陳腐に見えます

前回は「相手の立場で考える」ということが大事でした。今回は、自分のことをしっかりと見つめなおすことが大事です。それを面倒くさいなんて思わずに、時間をかけてやってみて下さい。

上海の教育事情について(2017年)

1.2013年→2017年 上海の日本人向け教育事情の変化概要

上海の教育事情について、2013年の記事をご覧になっている方が多くいらっしゃいましたので、ちゃんと最新の情報を発信していかねばと思い、更新頻度を高めようと思っています。というのも、2013年当時は日本から上海に来る方が多かった時期でしたが、今はまた状況が違います。以前よりも落ち着いた上海で、どのような教育事情なのかを客観的にお伝えできればと思います。

 

まず、2017年度になって目立ったことといえば、古北・虹橋ではウイングさん、浦東では上海アカデミーさん、enaさんなどの学習塾が教室を閉めたりしています。日本人も徐々に減るなかで拠点を集約しているのでしょうか。そのあたりの詳しいことまではわかりませんが。そうした学習塾の選択肢は減ったようにも思います。

 

一方、教育内容的には少し充実してきたのではないでしょうか。2013年頃までは上海に新しく来る日本人の方が多く、どの教育機関も増える生徒さんをどう対処するかに追われていた気がします。それは学校しかり、塾しかりです。例えば、日本人学校高等部では毎年のように先生の入れ替わりがありまし、先生不足に対応するために、経験の浅い先生方で何とか乗り切ろうとしている所もありました。しかし、最近ではそうした新しく来る日本人の方の数が減ったぶんだけ、逆に各教育機関には今いる生徒さんとしっかりと向き合う時間ができ、教育環境としては落ち着いたようにも思います。

 

2.上海の教育事情で最も変わったこと

ところで、一番大きく変わったと思うことは上海日本人学校浦東校の中学部の教育内容です。毎年定期テストは確認しているのですが、特に数学のテストが簡易化しています。逆に国語はやや難化傾向にあります。

 

この理由は簡単で、担当の先生の任期の問題です。以前数学で難しい問題を出すことで有名だった先生が帰国され、今の先生は比較的基本問題を中心に出すようになっているかと思います。そのため、以前であれば数学の定期テストの平均点が50点台ということもありましたが、今では平均点が60点後半から70点台と高くなってきています。

 

このこと自体はいい傾向だと思います。そもそも公立的な位置づけでもある日本人学校があまり難しい内容をテストに出すのは不適当だと思うからです。基礎的な知識やそれを少し応用する力を測ればいいと個人的には思います。

 

一方で国語は難化しているように思います。そもそも先生の要求するレベルが少し高い。テストの平均点が50点台だったときもありました。それを考慮せずに自分の子どもの国語力がないと心配する方もいますが、そうではなく、先生の要求しているレベルが上がったことが最も大きな原因です。

 

3.お伝えしたいこと

以上のようにあまり内容がない文を綴ってきましたが、何が申しあげたかったかと言いますと、昔の情報はあまり役に立たないということです。「日本人学校でどれくらいの成績を取っていたからどれくらいの高校に行ける」とか、「あの高校に行くにはどれくらいの偏差値が必要」とか、お母さん同士で話されたりしますが、その情報が何年の話なのか、そもそも事実なのかをしっかりと整理しておくことが必要です。

 

この記事を書いた一番の目的は、まずは情報収集ではなく、お子さんの現状をしっかりとみてあげることが何より大事、ということをお伝えすることです。テストの点数だけを見たり、過去の情報をいろいろ集めて焦られたりしても、それが何を意味しているのかを読み取るのは難しいです。

 

それよりも、まずは学校の勉強において、お子さんにどんな実力がついていて、どんな癖があって、どんな考え方をしていて、どうしたいと思っていて……というお子さん自身のことを見てください。そして、お子さんの現状をちゃんと理解したうえで、必要であれば何を改善していくかをお子さんと共有してください。

 

海外だから情報が無くて心配になり、いろいろと焦ってしまう保護者の方は多いですし、それはお子さんのためを思っていることは重々承知しています。しかし、その焦りのなかには少なからず「早く自分の心配事を片付けたい」という自分のための焦りもあるはずです。ですが、子どもは保護者の方のそんな気持ちを察してはくれません。ですので、保護者の方からお子さんの現状をなるべく理解してあげ、そのうえで本当に合う教育環境や進路等を探すのが何よりも大事だと思います。

 

志望理由書の書き方(入門編)

1. 一番大切なこと

入門編では、志望理由書の書き方の基本的なことについて説明しておきます。まず、書類を作成する上で一番大切なことを伝えます。
それは、相手の立場になって考えるということです。「自分をアピールする」のが重要ではなく、「相手がどんな人を求めているのか」ということを相手の立場で考えらえるようになることが大事です。

例えば、自分は「得点をたくさん取るストライカーです」とアピールしたとしましょう。相手もそういう選手を求めていれば、それでうまくまとまります。しかし、「ストライカーの選手層は厚いから、ディフェンスが欲しい」と思っている相手であれば、そのアピールは何の意味もありせん。

そういうことで、大事なことは「相手の視点」を持つことです。

2. 相手の立場で考えるために

では、どうやって相手の立場で考えられるようになるでしょうか。そこには2つの方法があります。1つ目は、「相手のことをしっかりと調べる」ことです。

特に相手の求める人物像を精読してください。そしてその人物像に自分が合っているかをじっくり考えてください。「有名なところだから」や「何となくの憧れ」だけではなく、実際に自分と相手との相性がいいのかを真剣に考えましょう。それが最低限のマナーです。

時間やある程度の知識がある方への情報収集の方法は標準編や発展編でお伝えします。

 

2つ目は、書類を見てもらう相手の貴重な時間を奪う、ということを意識することです。「そんなこと大事なのか」と思ったならば、あなたの書類はかなり雑なものになっています。

相手の貴重な時間を使って自分の書くものを読んでもらうという意識があれば、相手が求める情報を詳しく書き、読みやすい字体や言葉遣いを心掛け、必要とあれば資料を添付して……と、さまざまな配慮をするはずです。そうして、配慮されて作成された資料は、適当に作られた資料と明らかな違いがあります。なので、そうして相手の時間を意識することは極めて大切です。

3. コツなんてそもそもないから、気にしない

志望理由を含めた書類作成が苦手ということでコツを求める人が多いですが、そもそもコツなんてないと思ってください。合格した人の志望理由書を真似すれば合格ラインの書類になるわけではありません。

書類の採点とは、書類審査があるたびに大学や企業がそれぞれ独自に合格者を決めてきました。担当者の違いや、同じときに応募している人の書類の完成度の違いなどによって自分の評価は変わってしまいます。つまり、志望理由書に正解なんてない、ということです。

だからこそ大切なのは、相手のことをできる限り知り、その上で自分と相手が本当に合っているのかをしっかりと考え、そして相手のことを思いやってコミュニケーションをとることです。それが正解の書類作成です。

小論文を書く前に

小論文を学ぶ上で本当に必要なことは……

「小論文対策をします!」というと、多くの人が求めることは「コツ」であり、試験で良い点(あるいは、文章を書くのが苦手だという人は合格点)を取るための方法です。当たり前ですよね。小論文が必要となるのは、日常生活上で何か問題があったり、学校の成績に大きく影響したりする問題があるからではなく、大学受験や就職試験という極めて具体的な目的を達成するためです。その具体的目標である「合格すること」が最も大事であり、その先のことまで考える必要性は感じられないからです。

 

しかも、試験に課されたとしても、書類や実績の方を重視し、小論文はそれほど重視せず形式的に課されているような試験もあって、この場合は無難な文章を書けば受かってしまうので、そうした誰でも書ける「コツ」があるかのように思われがちです。逆に、小論文重視の大学でも数カ月や、短いときには一カ月未満の準備期間で小論文を学んで受かってしまう人もいたりします。これも短期間で学べる「コツ」があるんじゃないかと思われてしまう一因です。こうした要因により、小論文は「コツ」があれば誰でも数か月、最短なら数週間で完成してしまう科目だと思われています。

 

正直、どちらの場合であっても、そもそも小論文を学ぶ必要はほとんどないと言えます。何も対策しないのは不安だから対策したいという「安心」のためだけに、塾や予備校で余計なお金を使ったり、学校の先生や親や先輩など他人の貴重な時間を徒に奪ったりするだけです。

 

もちろん、それでも不安になるという方もいます。そういう方は次のことをしてみてください。まず、小論文が重視されていない場合は、「5パラグラフ戦略」で十分ですので、インターネットで型を調べてみて、その通りに書けるようにしてください。それだけで無難なものがちゃんと書けるようになります。または、ある程度まとまった小論文を書ける人の場合は、もっと多くの本を読んで、その情報に対する自分の考えをまとめるようにしていれば語彙力や文章の妥当性が高まり、小論文の基礎力がつくので、それだけでいいです。

 

「じゃあ、小論文の対策って必要ないってこと?!」と思うかもしれません。それは、先に挙げたような、小論文が重視されていないときや、小論文を書く基礎力をもともと持っているときです。あなたがそのいずれでもない場合は、小論文を対策することは有効であると思います。つまり、「試験を受ける上で小論文が重要」であり、かつ「小論文を書く基礎力がない」というのであれば、もちろん対策すべきです。

 

いよいよ本題です。では、小論文を学ぶ上で本当に必要なことは何でしょうか。そのヒントはすでに出ています。そのヒントとは、誰にも教わらずに短期間で合格点に達する小論文を書ける人がいるということです。なぜ、この人たちはそんな小論文を書けるのでしょうか。それは、「普段から読んだり聞いたりしたものを理解した上で、自分が妥当だと思う答えをその都度持つようにしているから」です。もっと端的に言うと、「知識を得るごとに暫定的正解を持っているから」ということです。「日本の安全保障は…すべき」「環境問題は…すべき」といったその時点での正解を持ち、必要ならば新たな情報をもとに正解をアップデートするようにしているということです。

 

いろいろとゆっくり説明してきましたが、ようやく見出しに対する答えです。小論文を学ぶ上で本当に必要なことは、「暫定的正解」を持つために、普段から文章を精読したり、人の話を精聴することです多くの人は日々多くの情報を得ています。テレビやスマホアプリからのニュース、友達の話、学校の授業、問題集の文章などなど…。これらの情報を、自分の都合のいいところだけ聞くのではなく、しっかりと理解することです。そうすることで初めてその情報に対する是非(ときにはその両方や中間も)を答えることができるようになります。極めて自明なことですが、情報を十分に理解していないならば、それに対する思考や判断なんてできないわけで、もちろん何かを論じることなんてできないわけです。

 

「小論文の対策」としてすべきこと

もうすでに答えは書きました。普段から、現代文で取り扱う文章、あるいは新聞・雑誌などを読むときに精読をすること、そして授業やニュースなどを精聴することが小論文の最大の対策です。じゃあ、精読や精聴ってどうするのか、ということについて掘り下げてみます。

 

例えば、人工知能(AI)の可能性について特集したテレビ番組を見たとき、その番組の中から「人工知能は、人の仕事を奪う云々ではなく、あくまで人間の判断を手伝う道具だ」とか、「人工知能に対する違和感は、昔の人が初めて電話や飛行機を見たときと同じようなものなら、今の人たちはそれらに対する違和感がなくなっているように人工知能に対する違和感もなくなるだろう」といった話を聞いて、理解し、整理をしていきます。

 

整理ができれば、「将来、人間と人工知能はいかに共存するのか」と質問されても、その理解の上での暫定的正解を考えるわけです。「人工知能は人間と対立する存在などではなく、電話や飛行機などと同様、今まで人間にしかできないと考えられてきたことを助けてくれる便利な道具となる。例えば、論文の採点や面接の合否判定、仕入れの決定など、状況判断が必要となる場面で、より良い選択をする精度を高めてくれることになるはずだ」といった暫定的正解でいいわけです。もちろん、新たな情報を読んだり聞いたりしたときに、あくまでも暫定的正解は変わりうるわけです。

 

私も先日の小論文の授業で「臓器移植」についての問題文を読んだとき、そこでの論点は臓器移植という技術による「身体の公共化」の問題についてでした。臓器移植の技術的・倫理的改善とともに、システムによって人の身体が死とともに「接収」されるようになる方向へと向かっており、そこで起こることは、自分自身のものと思っている自分の身体が、公共のものへと変容していこうとしている、という内容でした。そうして整理していくなかで、「臓器移植」を人権問題として扱う視点を得られるようになるわけです。

 

次にそれに対して自分の意見を加えてみましょう。「筆者の言うように、われわれは技術の発展によって知らず知らずのうちに自分の体が自分のものでなくなるかもしれない時代に生きている。現状のままシステムに身体の公共化のゆくえを任せるのではなく、何らかの形で合意形成を目指すべきだ。例えば、もっと多くの人を巻き込んで広く議論するとともに、一人ひとりが自分の意志で自分の体を公共利用するかを決められるようにするなど、できることがあるはずだ」などです。これを暫定的な意見として、また別の知見を得て、新たな意見が出たらそれをアップデートしてきましょう。

 

小論文の対策、それはこうした情報をしっかりと聞いたり読んだりして整理するという精読・精聴の繰り返しです。精読・精聴を日々積み重ねたとき、小論文があなたにとっての強い武器になることは間違いないでしょう。

小論文テーマ①「共有地の悲劇」(思考の枠組み①)

「共有地の悲劇」について

今回はテーマに対して実際に答案を作成してみようかと思います。今回のテーマは前回のエントリーで簡単に紹介した「共有地の悲劇」です。まずテーマを読みましょう。

 

◆テーマ「共有地の悲劇」とは◆

ある共有地に牛を放牧して生活している人々を想像してください。この共有地は、そこを利用している人々に対して何らのルールもなく、自由に利用していい場所です。ただし、第三者に売り払うことだけはできません。そうした場合、次のことが想定されます。

①牛を一頭増やすことの利益は牛飼い個人で独り占めすることができる。

②それによって生じる共有地の荒廃という支払いは、その牛飼いが直接するものではない。間接的には、共有地の他の牛飼いたちと分け合うことになる。

となれば、合理的な牛飼いは、自分の利益を最大にしようとして、牛の数を出来る限り増やそうとする。共有地の資源が無限にあるのならば、それも問題にならない。しかし共有地のは資源は有限である。そして他の牛飼いたちも同様に自分の利益を最大にすることを考えるので、牛の数が共有地の許容量を超えてしまい、共有地の資源が枯渇するという悲劇的な結末となってしまう。

 

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以上が、「共有地の悲劇」の大まかな例です。放牧地がイメージしにくいのであれば、それを海にして、牛飼いではなく漁師として考えてもいいでしょう。あるいは、放牧地を地球と考えると、牛飼いたちは各国家なり各企業として読みかえることも可能です。

 

さて、以上の内容をもとに、答案の作成について考えてみます。

 

「共有地の悲劇」について、具体例をあげて論じる(1,000字)

ここから解答を作成してみます。小論文を書く際の論理展開は次のように考えます。

①共有地の悲劇とは何か?(テーマ理解)

②それに対する身近な例を上げる→何かしらのルールを決める必要性を指摘(具体例)

③解決策として自分の考えるルールをのべる(自分の考え)+まとめ

 

 

以下、順番に解答を作成する前にまとめます。

 

①共有地の悲劇とは何か(テーマ理解)

テーマが与えられる小論文の場合、まずはテーマをまとめることで、何が問題なのかの焦点を絞ることができます。ここで注意しておきたいことは、小論文を書く際のまとめは、国語の「要約」ではないということです。というのは、国語の要約は筆者の言いたいことを過不足無くまとめる作業であるのに対して、小論文のテーマのまとめは、自分が書きたい問題について焦点を絞っていくための作業です。ということで、ここでは自分が書きたい問題を絞りましょう。今回の場合、それは「合理的な考えで行動する個人が共有地を利用するとき、ルールがなければ、共有地の資源は荒廃してしまい、結果的に全員の不利益になってしまう」という問題点です。ここは、論理展開が間違わない程度にできるだけ短くまとめたいところです。

 

②それに対する例(具体例)

「合理的な考えで行動する個人が共有地を利用するとき、ルールがなければ、共有地の資源は荒廃してしまい、結果的に全員の不利益になってしまう」という問題を抱えた身近な例とは何かを考えます。すぐに思いつくのは環境問題のような問題だと思いますが、ここではあえて違うものを考えたいと思います。ここでは「テレビの報道」について考えたいと思います。

 

テレビの報道において、どんな事件をどれだけ報道するかについての明確なルールはない。事実、各テレビ局は自分たちの利益のもととなる視聴率をとるために、なるべく話題性の高い事件を中心に報道している。しかし、限られた放送時間内で放送できる内容も少なく、結果的に視聴者は同じようなニュースしか見ることができなくなる。また、視聴者を楽しませるために取材が過熱しすぎ、最悪の場合、ねつ造や誤報が生じてしまう。このような事態が行き過ぎると、テレビ自体の信頼性が失われ、メディアとしての機能を喪失してしまうことになりかねないだろう。

 

という例を考えてみました。少し無理やりテーマに合わせた感もありますが、高校生が書く小論文であれば、テーマから逸れずに出来る限り他の受験生と被らない内容を考えることも大事です。何より大事なのは、「合理的な考えで行動する個人が共有地を利用するとき、ルールがなければ、共有地の資源は荒廃してしまい、結果的に全員の不利益になってしまう」というまとめに合致していることです。

 

③解決策を考える

この後、上で具体的に提示した問題に対する解決策を考えます。ここが特に他の人と差がつくところです。ここでいかに論理性と現実性の高いアイデアを提案できるかです。論理性が高くても現実性が低いアイデアであればそれは提案としては不十分です。つまり、最後は論理性に加えて、説得力をもたせるための書き方が必要になります。例えば、こんな解決策はどうでしょうか。

 

【解決策1】

このような利益を上げるための行き過ぎた報道を防ぐためには、一定のルールが必要である。そこで、利益重視ではなく視聴者にとって価値のある情報を重視して流すようにテレビの報道を法律を作るべきだ。

 

【解決策1の欠点】

この解決策を提案してしまうことは大きな減点につながるでしょう。というのは、メディアへの規制を「法律」によって行うことは、政府がメディアを規制することであり、それは「報道の自由」の問題となってしまうからです。ということで、今回の例の場合、ルールを作る主体は政府でない方がいいでしょう。

 

【解決策2】

このような利益を上げるための行き過ぎた報道を防ぐためには、一定のルールが必要である。そこで、メディア同士で話し合って自主的なルールを作るべきだ。そうして報道におけるルールを、政府に頼る形ではなく、自分たちで作ることによってもメディアの力を維持できるはずである。

 

【解決策2の欠点】

この解決策の場合、残念なのはすでにこうした自助努力というのは各メディアが行っているという点です。放送倫理番組向上機構(BPO)という名前を目にしたことくらいはあるかと思います。少なくとも何かしら自分たちでの努力はしていると考えた方がいいでしょう。現状以上の解決策を考えたいものです。

 

以上のように、解決策1や2を考えてみてわかることは、解決策を考えるときに大事なのは、その解決策が「何か大原則を壊さないか」や「すでに行っていて、それでは十分に解決しないことではないか」といった検証を忘れないということです。さらにそのためには、その分野に対するある程度の知識も必要です。それをふまえた上でさらに解決策を考えてみましょう。

 

【解決策3】

このような利益を上げるための行き過ぎた報道を防ぐためには、一定のルールが必要である。重要なのはそれを誰が担うかである。国が規制することは「報道の自由」に反する。企業主体の報道倫理はすでに存在するが十分とは言えない。そこで私は、視聴者にとってより価値のある情報を流すことができる仕組みとして、報道を行うすべてのジャーナリストたちが所属できるような「ジャーナリスト組合」を作るべきだと考える。ジャーナリスト個人がそうして力をもつことで、メディアの企業としての利益だけでなく、彼らの倫理によってメディアの報道を規制できるはずである。

以上のように、共有地の悲劇はその共有地の状況に応じたルールを定めることで回避することはできると考える。

 

というようなものです。最後、解答例をまとめてみましょう。

解答例

 共有地の悲劇とは、「合理的な考えで行動する個人が共有地を利用するとき、ルールがなければ、共有地の資源は荒廃してしまい、結果的に全員の不利益になってしまう」という内容である。このような共有地の悲劇は、今日の環境問題や資源の問題などにも援用でき、その解決策を考えることは極めて重要である。

 ところで、この共有地の悲劇の具体例として最初に思い浮かぶのは「テレビの報道」だ。テレビの報道において、どんな事件をどれだけ報道するかの明確なルールはない。事実、各テレビ局は報道倫理もあるが、それよりも自分たちの利益のもととなる視聴率を優先して、なるべく話題性の高い事件を中心に報道しているように見える。そうなると、限られた放送時間内で放送できる内容も少なく、結果的に視聴者は同じようなニュースしか見ることができなくなる。また、視聴者を楽しませるために取材が過熱しすぎ、最悪の場合、ねつ造や誤報が生じてしまう。実際に、地下鉄サリン事件の際に誤報が起こったことは有名だ。このような事態が行き過ぎると、テレビ自体の信頼性が失われ、メディアとしての機能を喪失してしまうことになりかねないだろう。こうした状況を考えるとき、「テレビの報道」も一種の共有地として捉えることができる。

 このような利益を上げるための行き過ぎた報道を防ぐためには、一定のルールを設けることが必要であるだろう。重要なのはそれを誰が担うかである。国が規制することは「報道の自由」に反する。企業主体の報道倫理はすでに存在するが十分とは言えない。そこで私は、視聴者にとってより価値のある情報を流すことができる仕組みとして、報道を行うすべてのジャーナリストたちが所属できるような「ジャーナリスト組合」を作るべきだと考える。ジャーナリスト個人が力をもつことで、メディアの企業としての利益だけでなく、彼らの倫理によってメディアの報道を規制できるはずである。

 以上のように、共有地の悲劇を防ぐためには何らかのルールを設けることが必要だと考えられるが、さらに重要なことは、共有地を利用している主体がどのような性質を有しているのかに着目し、それに応じたルールを定めることであると考える。

(原稿用紙で952字)

小論文を書くための思考の枠組み①「共有地の悲劇」

小論文を書く上での思考の枠組み

これから数回(今のところの予定としては4回)で、小論文を書く上で必要となる思考の枠組みをまとめたいと思います。そもそも思考の枠組みとは何なのか。小論文を書く上で、なぜそれが必要なのか。というところから整理しておきたいと思います。

◆思考の枠組みとは?

例えば、テーマが「貧富の格差」であるとしましょう。高校生の英語の教科書『CROWNⅢ』にも、「物は世界の10%の人のために作られている。残りの90%の人にとって、ただただ高くて買うことができない」という内容の話がありましたね。そういった内容が課題文として出たとしましょう。そして「この状況についてあなたはどうか考えるか」という問題などを想定しています。

 

小論文を始めたばかりの生徒だと、こうした問題に対して「やっぱり格差が大きいのは良くないから対策すべき」や「それは個人の努力で解決すべきで、国や社会が積極的に是正しようとすべきでない」など自分の直感的な結論だけを述べるに終始してしまいがちです。それだと字数が足りなくなったり、話が前後したり重複したり、論文というより感想文みたくなったりもします。そういう人は、思考の枠組みを持ってその問題を捉えようとし、そして「論じる大まかな方向性を定める」ということを考えましょう。

 

では、「貧富の格差」をどう捉えるのか。詳しい「共有地の悲劇」の話は次回で書きますが、結論から述べると「共有地の悲劇」を読むことによって問題の一つの捉え方がわかります。ここでは、ごくごく簡単に「共有地の悲劇」を紹介しておきます。

 

「共有地の悲劇」とは、「共有地」つまり「資源が有限な場所」において、自己の利益を最大化しようとする個人の合理的な行動は、それが集積した結果、「共有資源の過剰利用」へと繋がり、最終的に不合理である「共有地の崩壊」を導くというものです。具体的には次回に説明するので、ここでは、要するに「みんな自分勝手に共有資源を使うことで、結局その資源がダメになってしまう」くらいに理解しておいて下さい。では、それをどう防ぐのか。それは「何かしらのルールを設けること」です。そこまでを論じることは比較的容易です。あとは、問題ごとにどのようなルールを設けるかを考えるだけでよくなります。もちろん、ここが一番難しいですが。こればかりは問題ごとに考える必要があります。

 

さて、そうして「共有地の悲劇」の問題を理解しておくと、ある決まった資源を分配するような場合においては、同様に「あるルールを設けることが必要」だと考えられるようになります。貧富の格差の問題も、市場という有限の共有地で競争をすることになるので、各人が自己の利益を最大化しようとしすぎるあまり、その市場をダメにしてしまう可能性があるわけです。例えば、極端な話、あまりにも格差が広がってそれに耐えられない人が増えると革命が起こって市場を壊してしまうとか。そしてそうならないように、「何かしら富の再分配のルールは必要だ」というところまでは考えられるわけです。(あくまで、一つの捉え方です。他の捉え方もできるということは忘れないでください。)

 

そこまで捉えたら、論じる大まかな方向性」が定まります。最後に考えるべきことは「どんな富の再分配のルールを設けるか」です。例えば、生活保護やベーシックインカムを導入するとか、教育と医療はすべて無償にするとか、ワークシェアリングするとか、そこにその人の思想が表れるわけです。

思考の枠組みは、ある種の「定石」である

ということで、「共有地の悲劇」を理解すると、同じような枠組みで捉えられる問題にはそうして論理展開を定めることができるわけです。思考の枠組みを持つ必要がある理由が理解してもらえたでしょうか。

 

数学には「チャート」という参考書があります。この問題にはこうやって解けというのを何百と紹介するわけです。あるいは、将棋や囲碁には「定石」というのがあります。ある程度決まった戦法です。もちろん、そうした指針や定石以外の戦い方もあります。しかし、一旦はその指針なり定石なりをしっかりと身につけるのが必要なのであり、それは小論文も変わらないのです。そしてその指針なり定石にあたるのが、小論文においては「思考の枠組み」。これから最小限の思考の枠組みを紹介していきますので、まずはそれを身につけてみてください。

帰国子女の国語・小論文について

ブログ再開の背景

もともと私個人の思いをつづった私的ブログであり、あまり書きたいこともなかったためにしばらく放置していた本ブログですが、今後テーマを絞って更新していこうと思います。テーマはタイトルの通り「国語・小論文」です。

 

なぜ、このタイミングで更新を再開しようと思ったかと言いますと、私自身、細々と上海で教育関係の仕事に携わる身ですが、上海に限らず海外で暮らす子どもたちや帰国子女の方々のための国語や小論文について、インターネット上に断片的なものしかない、そのためにちゃんとした理解ができないまま、みんな手探りを続けているという状況があるように思うからです。というか、事実、あります。

 

あるいは、海外の子どもたちだけでなく、地方に暮らす中学生や高校生の方々にとっても国語の読解や論述に関して、ちゃんとした、体系的な授業を得られるような機会もあまりにも少なすぎると感じています。私自身地方の公立中学、公立高校出身ですが、わかりやすい国語の授業は受けたことがありませんでしたし、そもそも小論文になると教えてくれる人はいませんでした。この辺りは地方も海外となんら変わりません。

 

そうした背景があって、私の空いた時間を使って、まずは「小論文」についてちゃんとした体系的な情報を作っていきたい、もっと言えばインターネット上で小論文の教科書なるものを作成することに挑戦したいと思った次第です。

 

小論文の教科書作成への戦略

ということで、小論文の教科書作成を目指しているのですが、正直今の段階で自分自身そこまで体系的にしっかりと整理できているわけではありません。ですので、毎回「テーマ」と「小論文の型」をちゃんと分類しながらある程度の数の記事を公開していきます。そして、そのなかで一般化できることを別途まとめていくことにします。

 

ですので、教科書作成は二つの段階に分けて進める予定です。第一段階としては、必要な量の「テーマ」や、それに対する私自身の「解答例」をためること。第二段階としては、たまったものを整理して、体系化すること。ただし、第一段階と第二段階はある程度同時にすすめます。

 

そして、何より気をつけたいことは、できるだけみなさんにわかりやすく書くこと。言葉は「正確さ」も大事ですし、それと同じくらい「多くの人が理解できる」ことも大事です。実はこの2つは両立させることが難しいです。というのは、「多くの人が理解しやすいもの」は単純化されたものであることが多く、しかし単純化しすぎることによって「正確さ」が失われてしまうこともあるからです。このところの答えについては、私自身この教科書を作りながら自分なりに考えていくつもりです。

 

これからの時代と小論文

あと、一つだけ。これからの時代において小論文って大事なのでしょうか。文章を書くことってどれくらい大事なのでしょうか。そこについての私の考えをまとめておきたいと思います。

 

結論から言いますと、正直、多くの人にとって小論文で使うような「書き言葉」はそれほど大事ではないと思っています。「書き言葉」って、「話し言葉」とは違い、日常生活で必ず獲得するものではありませんし、ということは日常生活で必ず必要となるものでもないわけです。英語や数学と同様に別の言語であって、特別な訓練を通じてようやく獲得できるものなはずです。しかも、正確さを追求し始めるととかなり難しい。だから、それを必要とする人だけがやればいいとは思っています。

 

でも、それと同時に、「書く」という行為がもっと一般化してほしいなとも思います。「書く」という行為は、自分が「感じたもの」を目に見える形へと変えて行く作業であり、それを突きつめて一般化していくと、そこには「人間は何を感じるのか」あるいは「人間とは何か」を考える作業であると思うのです。今後新しい人間の定義が必要になる時代が来るかもしれません。そんな中で、「書く」という作業を通して、その問題に対する予習ができるのではないかと思うのです。

 

最後は抽象的な話になりましたが、後々詳しく書いていきたいと思います。