帰国子女の国語・小論文について
ブログ再開の背景
もともと私個人の思いをつづった私的ブログであり、あまり書きたいこともなかったためにしばらく放置していた本ブログですが、今後テーマを絞って更新していこうと思います。テーマはタイトルの通り「国語・小論文」です。
なぜ、このタイミングで更新を再開しようと思ったかと言いますと、私自身、細々と上海で教育関係の仕事に携わる身ですが、上海に限らず海外で暮らす子どもたちや帰国子女の方々のための国語や小論文について、インターネット上に断片的なものしかない、そのためにちゃんとした理解ができないまま、みんな手探りを続けているという状況があるように思うからです。というか、事実、あります。
あるいは、海外の子どもたちだけでなく、地方に暮らす中学生や高校生の方々にとっても国語の読解や論述に関して、ちゃんとした、体系的な授業を得られるような機会もあまりにも少なすぎると感じています。私自身地方の公立中学、公立高校出身ですが、わかりやすい国語の授業は受けたことがありませんでしたし、そもそも小論文になると教えてくれる人はいませんでした。この辺りは地方も海外となんら変わりません。
そうした背景があって、私の空いた時間を使って、まずは「小論文」についてちゃんとした体系的な情報を作っていきたい、もっと言えばインターネット上で小論文の教科書なるものを作成することに挑戦したいと思った次第です。
小論文の教科書作成への戦略
ということで、小論文の教科書作成を目指しているのですが、正直今の段階で自分自身そこまで体系的にしっかりと整理できているわけではありません。ですので、毎回「テーマ」と「小論文の型」をちゃんと分類しながらある程度の数の記事を公開していきます。そして、そのなかで一般化できることを別途まとめていくことにします。
ですので、教科書作成は二つの段階に分けて進める予定です。第一段階としては、必要な量の「テーマ」や、それに対する私自身の「解答例」をためること。第二段階としては、たまったものを整理して、体系化すること。ただし、第一段階と第二段階はある程度同時にすすめます。
そして、何より気をつけたいことは、できるだけみなさんにわかりやすく書くこと。言葉は「正確さ」も大事ですし、それと同じくらい「多くの人が理解できる」ことも大事です。実はこの2つは両立させることが難しいです。というのは、「多くの人が理解しやすいもの」は単純化されたものであることが多く、しかし単純化しすぎることによって「正確さ」が失われてしまうこともあるからです。このところの答えについては、私自身この教科書を作りながら自分なりに考えていくつもりです。
これからの時代と小論文
あと、一つだけ。これからの時代において小論文って大事なのでしょうか。文章を書くことってどれくらい大事なのでしょうか。そこについての私の考えをまとめておきたいと思います。
結論から言いますと、正直、多くの人にとって小論文で使うような「書き言葉」はそれほど大事ではないと思っています。「書き言葉」って、「話し言葉」とは違い、日常生活で必ず獲得するものではありませんし、ということは日常生活で必ず必要となるものでもないわけです。英語や数学と同様に別の言語であって、特別な訓練を通じてようやく獲得できるものなはずです。しかも、正確さを追求し始めるととかなり難しい。だから、それを必要とする人だけがやればいいとは思っています。
でも、それと同時に、「書く」という行為がもっと一般化してほしいなとも思います。「書く」という行為は、自分が「感じたもの」を目に見える形へと変えて行く作業であり、それを突きつめて一般化していくと、そこには「人間は何を感じるのか」あるいは「人間とは何か」を考える作業であると思うのです。今後新しい人間の定義が必要になる時代が来るかもしれません。そんな中で、「書く」という作業を通して、その問題に対する予習ができるのではないかと思うのです。
最後は抽象的な話になりましたが、後々詳しく書いていきたいと思います。