上海教育事情ブログ

上海で個別塾「上海個別塾(シャンコベ)」を運営しつつ、上海の日本人向け教育事情についていろいろと書いていきます。上海だけでなく、他の海外からの中学受験、高校受験、大学受験について、一般入試や帰国生入試に分けてリアルな状況をお話します。

2020年度は、「子どもたちの分断」が起こるか

前々回前回と、新型コロナウイルスに対する各国の対策や、緊急事態宣言の出口戦略などを考えてみました。

 

今回は、教育に携わる1人として、2020年度の教育について2つのシナリオを考え、それぞれのシナリオで子どもたちがどのように考え、それぞれのどのようなアプローチをすべきか考えてみようと思います。

 

1.早期に治療薬が発見されたり、夏以降突如ウイルスが無くなるシナリオ

もっとも理想的なケースですが、6~7月くらいに「既存の治療薬の有効性が発見される」あるいは「突如ウイルスが無くなる」というケースです。もしくは、その他の方法によって早期に日本でのウイルスが根絶できたケースも含みます。この場合、学校の再開は6月後半~7月となり、2019年度の3月2日から年度を跨いで続く休校の期間が3カ月半~4カ月くらいで終わることを想定します。

さて、この場合に起こりうることとしては、

  1. 9割以上の子どもたちは、普通に学校に戻っていく
  2. 残りの1割弱の子どもたちは、「学校なんて行かなくていいや」と思って行かなくなる

という分断が起こってしまうということです。割合の数字は適当です。ただ分断が起こるということに私の主張があります。以下、そう考える理由と、2の「学校に行かなくていいや」と思う子たちに対するアプローチについて詳しくまとめます。

 

①学校へ行く理由の喪失

これまでは、日本だけでなく世界的に子どもたちは「学校に通うこと」が自明視されてきました。しかし、日本で近代的な学校制度が始まったのは、明治6年(1873年)のことです。もっと言えば、近代的学校の特徴である「同学年の子どもが集まり、カリキュラムと呼ばれる同一の教授活動を行う」という制度は、明治末、つまり1900年代に入る頃にようやく普及することになります。2020年の現在から振り返ると近代的な学校制度が始まったのがわずか約120年前のことであり、それ以前の歴史においては存在しませんでした。

もちろん中世にも「学校」は存在します。しかし、例えば世界の中世の「学校」とは、多くの場合1つの部屋に、年齢がまちまちの子どもたちが集まり、教師も「極端な表現をすれば、目の前に座っている生徒が誰かによって、教える内容やレベルをその場で決めたのであろう」(柳 2005)という程度の存在です。日本でも、吉田松陰の松下村塾も似たようなものだと指摘されています(海原 1993)。

これまで、「学級」を所属単位として同学年の子どもが同じ内容を教わるというのは、同じ知識を効率的かつ一方的に伝えるのには極めて有効でした。しかしその反面、根本的な問題が存在ます。①学級に所属する目的意識が生まれにくいこと(義務感にしかならない)、②その結果、学級という集団を優先した自己抑制を受け入れることが困難になること、③規律を守ったところで、その代償としての成績の上昇という成果が保証されるわけではないこと、などの点です。

今回の新型コロナウイルスは、すべての子どもたちに今まで義務的に所属していた「学級」に対して距離をおく機会を与えているのです。そうなると、今まで学校という集団に対する自己抑制を困難に思っていた子どもたちほど今の環境を快適に感じ、学校に行く理由を失ってしまうわけです。

このような子たちが大多数だとは言いませんし、むしろ9割以上の子どもたちは学校に戻りたがっていると思います。それは今までの学校に対する自己抑制に対してそれほど違和感がない子です。「みんな先生の話を聞いているから自分も聞いた方がいい」と判断できるような子です。そういう子は自分のやりたいことに対する欲求がそれほど強くないため、今の休校期間を「暇だ」と感じてしまいます。

しかし、残りの1割弱の子は、ふだん「学校は何で自分のやりたいことを邪魔するんだろう」と思っているような子たちです。このような子たちにとっては、ようやく誰にも邪魔されずに自分のやりたいことをする機会を得られたのです。特に登校拒否になったことがある子、学校に行っても自分の好きなことばかりしている子、などは「学校に行く理由無くない?」と感じるのではないでしょうか。

 

②学校に行く理由を失った子は何を目指すのか

以上のような子は、今までは「学校には行きなさい」と周囲から強く促されてきました。しかし、新型コロナウイルスのおかげで学校は休みです。また親も「学校のクラスって3密だから危ないね…」と心配になり、無理に通わせることを躊躇し始めます。それではこうした子たちは何をするでしょうか。

それは、「自分の好きなことをする」になると思います。そもそも学校という集団に対して自己抑制ができないような子どもたちというのは、集団の秩序よりも個人の目的が強い子たちであると考えています。例えば、「絵を描きたい」と思っていても、授業中にノートに絵を描いてれば、先生に「何やっているだ!」と怒られます。あるいは、「ずっとプログラミングを学びたい」と思って調べようにも、学校ではネット環境がありません。けれども、今は授業中に絵を描いていても、ずっとネットでプログラミングの仕方を検索していても怒られることはないでしょう。それが3~4カ月続くと、「学校に行かない方が個人的に得られるものが多い」と考えるようになるはずです。

 

③「学校に行きたくなくなった子どもたち」へのアプローチ

さて、「学校に行きたくなくなった子どもたち」には何が必要でしょうか。今までは「学校」という存在が自明視され、そこに通わせることが何よりもの正解でした。しかし、他にやりたいことがあれば、それができる環境を整えてあげることが正解ではないでしょうか。

例えば、イラストレーターになりたい子にとっては、まずはこの時間をたくさん使っていろいろなイラストを描かせてあげることです。今、テーマはいくらでもあります。新型コロナウイルスの拡散の仕方をイラストでわかりやすく他の人に伝えようとすること、あるいはなかなか外に出れない自分の感情を絵で表現してみること、などテーマを見つけ、それを評価してくれそうな人に直接メールや手紙で連絡してみればいいのではないでしょうか。

あるいはプログラマーになりたい子にとって大事なことは、他の人のコードを見たり、たくさんのコードを自分で書いたりして実力をつけ、さらにどんなサービスを社会が求めているのかを考えることです。今は、新型コロナウイルスの感染者数をプログラムで計算することもできます。そのための情報もインターネット上にあります。あとは、どんなことが知りたいときに、どんな方法で調べればいいのかをサポートしてあげることができれば十分であるように思います。

このような「学校に行きたいくなくなった子たち」には、親やその知り合いの人、あるいは専門の人のオンラインでのサポートがあれば十分に学校以上の学習ができるように思うのです。

 

2.長期間にわたり学校再開が見込めないシナリオ

次に考えるのは長期にわたって学校再開が見込めないケースです。2020年度が、ほぼずっとこのような状態であるというケースを考えます。この場合、学校の再開は全く不透明となり、2021年になってもいつ学校が再開されるのかわからないというような状態を想像してください。

さて、この場合に起こりうることとしては、

  1. 2~3割の子どもたちは、学校が再開されるのをとにかく待つ
  2. 5割くらいの子どもたちは、代替のオンライン教育サービスを探す
  3. 2~3割の子どもたちは、自分の好きなことを始める

というより大きな分断が起こってしまうということです。

1の「学校が再開されるのをとにかく待つ子どもたち」とは、代替の教育サービスを受けられるだけの金銭的な余裕がなく、また自分の好きなこともない子たちです。何も手を打たなければ、そういう子たちは2や3の子たちとどんどん差ができてしまい、厳しい格差社会に繋がってしまいそうです。ですので、ここに対する何らかの教育サービスを提供する必要がありそうです。

2の「代替のオンライン教育サービスを探す子どもたち」とは、すでに私立の学校ではオンラインでの授業が時間割通りに進められているように、今までの教育をそのままオンラインで受けるようにするという子たちです。あるいは塾や習い事もオンラインで行うところもあります。多少なりの金銭的な負担が生じるため、教育にお金をかける余裕がある層の子たちになります。オフラインのときと比べて効果が上がる子もいれば、まじめに受けずに下がる子もいるとは思いますが、何もしないよりはいい成果が出るはずですし、質のいいオンライン教育手法が確立していくはずです。

3の「自分の好きなことを始める子どもたち」とは、すでに上でみたような「学校に行く理由を失った子どもたち」とイコールだと考えて下さい。しかし、上のときよりも割合が多いと考えている理由は、短期間で学校が再開された場合は「変化することによるリスクよりも、維持することの安心感を選びやすい」からであり、長期間になればなるほど「変化することのリスクが小さく見えるようになる」からです。この子たちにはそれなりのサポート環境さえつくれば問題ないと思われます。

 

さて、長期にわたって学校再開が見込めない場合、それぞれのグループの子どもたちに対して別々のアプローチをしていく必要があると考えています。

まず1のグループに対してですが、それは「継続的に勉強に参加するためのサポート」です。家でインターネットに繋がっていない子もいるでしょうから、例えば地域レベルや学校レベルでの1週間に1度程度の宿題のやり取りをするなどが考えられます。すべての子どもたちに対応するのも大変なので、希望制にするなどして必要な子たちに向けて、何らかの継続的な勉強への参加を促すアプローチが必要だと思います。

次に2のグループに対してですが、それは「質の高いオンラインでの教育プログラム」を探すことです。今までオンラインは「信用できない」「集中できなさそう」などと言ったネガティブな側面が強調されてきましたが、オンラインの良い面もあります。それは「自分の住む地域に限らず専門の先生やコーチに教わることができる」という点です。例えば、「近くにいいピアノの先生がいない」などと思って悩んでいた人にとっては、オンラインで良い先生がいないか探すチャンスです。今後、多くの優秀な先生やコーチがオンラインで教える可能性は高いと思いますし、それを狙って情報を集めてみると良いと思います

次に3のグループですが、すでに上で書いたようにこの子たちは自分たちでやりたいことがある程度決まっています。ですので、親やその知り合いの人、あるいは専門の人のオンラインでのサポートがあれば十分に学校以上の学習ができるように思います。一つ付け加えるとすれば、2のグループの子たちと同様に、多くの優秀な先生やコーチがオンラインで教える可能性は高いと思います。そのような人を探し、自分の子にあった先生やコーチをつけるといいように思います。

 

3.まとめ・参考文献

さて長々と書きましたが、まとめるとどちらのシナリオにしても一定の「学校に行く理由を失う子どもたち」は生まれてくるように思います。そうした子たちへのオンラインでのサポートを始めようと思っています。

また、長期化するようであれば学校に行きたいけど行けない子たちへのサポートも考えねばならないと感じています。また何か意見があればいただけると幸いです。

 

【参考文献】

柳治男(2005)『<学級>の歴史学』講談社選書メチエ

海原徹(1993)『松下村塾の人びと』ミネルヴァ書房